昨今、黒くて辛いシャバシャバのカレーが総じて「カシミールカレー」と呼ばれるようになったが、デリーにおける「カシミールカレー」はこのようにして生まれた。
創業時に予定していたのは「チキンカレー」と「ポークカレー」の2種類だった。
しかし「チキンカレー」が当時の人々には辛すぎるのではないかと考え、名前だけで辛いカレーをイメージしてもらえるよう『インドカレー』に改名。
辛さをおさえたカレーを「チキンカレー」とし、この3種を主力にデリーはスタートした。
※後に「チキンカレー」は『デリーカレー』、「ポークカレー」は『コンチネンタルカレー』となる。
数年後、意外なことにもっと辛いカレーを欲するお客様の要望が増えてきたため、『インドカレー』の
「倍辛(ばいから)」を作るも、唐辛子くささが際立ってしまう。
研究の末、唐辛子のくさみは「ガーリック」で緩和されることを突き止める。
そして、「はたしてお客様が“ 辛さ ”を感じるのは、味覚によるものだけだろうか?」と考え、視覚に訴えることを思いつく。
頭に浮かんだのは、当時どこにもなかった「真っ黒なカレー」。色彩と風味を深めるためにカラメルを加え、『カシミールカレー』の原型が誕生した。
創業者・田中敏夫にとって「辛いカレー」のイメージは、南インド「マドラス」のカレーだったため、その激辛カレーは「マドラスカレー」に命名すると決めていた。
しかし、どういうわけか印刷業者にメニュー原稿を渡す際、うっかり「カシミールカレー」と書いてしまう。
刷り上がったメニューを見てその間違いに気づくが、そもそも完全オリジナルのカレーであること、当時の日本ではあまりインドの地名は知られていなかったことから、それほど影響はないだろうと判断し『カシミールカレー』という名前のまま提供した。
当時のデリーのカレーは、今ほどシャバシャバではなかった。
理由はミキサーにかけた「じゃがいも」を使っていたからで、材料の粒子が粗く、全体的に若干のとろみがあった。
さらに営業開始から時間が経つほど、煮詰まったじゃがいもが沈殿しドロッとしてくる。
この状態になると、カレーの辛さは減少して感じられる。
ゆえに、常連のお客様からは「もっと辛く」「もっとシャバシャバに」という注文がつき、コックたちも、いかにとろみがなく辛いカレーを作るか、玉ねぎの水分の飛ばし方から、食材の繊維を残さない包丁の入れ方まで、工夫と努力を惜しまなかった。
辛いカレーの注文が増えたとはいえ、カシミールカレーは最初から大人気だったわけではない。
ブレイクのきっかけとなったのは、1982年の「改正食糧管理法」。米の品質が向上し、これまでよりも甘みの強い品種が出回るようになってきた。
米の「甘み」がカシミールカレーの辛さと絡み合うことで、ただ辛いだけではない奥行きが生まれ、このとき、本当の意味で「日本の米に合うインドカレー」が完成したと言えるだろう。
デリーがカレーだけでなく「米」にこだわり続けるのは、このためだ。
このように『カシミールカレー』は、『デリーカレー』と『インドカレー』から派生し、独自の考えから進化を遂げた。
現在のデリーの美学でもある「シャバシャバ」カレーは『カシミールカレー』の追求によって鍛え上げられてきた。
他所と同じをよしとせず、常識外れの方法も大胆に取り入れ、お客様の期待を超えていく。
デリーのカレーに対する哲学を最もよく体現したカレー、それが『カシミールカレー』である。