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社長雑談
2024.02.02

バターチキンのニュース


 インドで、「バターチキンの元祖」を巡った法廷闘争になった、とニュースで見ました。

 10年ほど前ですが、バターチキンについて自分なりに調査をしたことがありまして、その時に書いたことと、今回の闘争における内容がほとんど同じだったのでホッとしました。
 それがこちらです。

バターチキンのトリビア

 これからのお話は、学術的な裏付けが、というものではありませんが、民間で伝承されている話です。

★ モティ・マハル レストラン
  1920年代、パキスタンのアフガン寄りのペシャワールで開店した「レストラン モティ・マハル」。
  パンジャブ料理、特にタンドールを使った料理を提供し、中でも「タンドーリチキン」が評判を呼び、結婚式などで使われ、有名になった。
  ここでも諸説ありますが、この料理自体は、もっと古くから普通にあったものだが、
  モティ・マハル レストランが「タンドーリチキン」と命名したということ。
  
  1947年、インド・パキスタンの分離独立時に、そのオーナーはインド・パンジャブ行きを決断し、その東の端、オールドデリーにモティ・マハルを開店。

  ここでも爆発的にタンドーリチキンが売れ、またテイクアアウトも売れ、一日に300オーダー、400オーダーも売れたとか。

★ バターチキンの誕生
   開店から数年経った1950年代、モティ・マハルでは毎日毎日捨てられるスパイスとヨーグルトのタンドーリチキン・マリネソースについての再考が。
 
   その時、あるコックがこのソースとトマトとバターでソースを作って賄いにしたのが「バターチキン」の始まりだとか。

★ デリー田中の推論
  バターチキンが有名になった一因に、英語名というのがあると思います。
  昔、日本でも、バターチキンとは言わず、インド名の「ムルグ・マッカニー」とか
  「ムルグ・マカンワラ」と呼ばれていました。
  たぶん、この料理名だと、世界的に有名にはならなかったと思います。

  では誰が「バターチキン」と命名したか?
  1947年の分離独立時、家や仕事を失った、インド人がイギリスに難民として逃
  亡。その中には、パンジャブ人とベンガル人が多かった。それは、パンジャブ州が
  インドとパキスタンにまたがっていたため、家と職を失った人たち多いという理由。 
  彼らは、イギリスでコミューンを作り、自分たちの郷土料理のパンジャブ料理を提
  供。そして、ムルグマッカニーの登場を知り、英語で「バターチキン」と命名し、
  ナンと共に提供し、イギリス人に受け入れられ、その後、全世界に広まったのでは、
  というのが推測です。

★デリー田中の推測は、あくまで推測ですので忘れてください。

 今回は、現モーティマハルのオーナー対モーティマハルで共同開発したという人との紛争のようです。