- 社長雑談
- 2016.12.27
1月2日、そしてゴールフェースホテル
1月2日のイベント、メインはゴールフェースホテルのカレーの思い出です。
今から37年前、まだシンハリとタミールの内戦前ののどかな時期でした。
空港に着き、荷物を待っていると、コンベアの奥での手作業でしたが、途中で係がバゲージに腰をおろし、たばこを一服。
ノンビリ感がありました。
空港でのポーターもタクシー運転手も、皆裸足。
我々を見て群がってくる人々が「ギブミー・ボールポイントペン、ギブミー・ライター」と口々に。
ホテルに着くと、総支配人がお出迎え。
それは、父の友人が医者で且つ、このホテルの取締役だったから。
ここを拠点に、キャンディやゴール、ベントータへの小旅行をしましたが、帰るといつも違ったタイプのスイートルームを用意してくれ、すべて専用バトラーが。
古びて音を立てるエアコンと1日1回は起きる停電も一興。
メインダイニングは、大きな部屋と、それに連なる芝生の庭に面した開放廊下のテーブル席。
庭には孔雀が。
夜はテーブルランプの灯かりのみで、シタール、タブラ、タンブーラの生演奏と美女マネージャー。
ゲストはほとんどが欧米人で、我々にも常に「サー」を付けて会話。まるで映画の中にいる感覚、正に植民地。
レセプションに小旅行のタクシーを頼み、玄関に向かうと、我々と支配人で数人の運転手の面接。
その時私は20代、彼らにはどう写っていたのでしょうか。
さて料理は、次回に。