- 社長雑談
- 2017.05.07
「デリー」、カレー屋からインド料理へ
今日は、デリーの歴史の一端を。
一店目のデリー(現上野店)が軌道に乗った昭和38年、創業田中敏夫はインドに長期間研修に出発。
そして昭和40年、インド料理店「デリー六本木」を開店。
ではなぜ、インド料理と思ったか。
そこには、生前私に語った2つのポイントがあります。
1つ目。
当時のインド料理店の味が、口に合わなかった。
インドで食べた時と違い、タンドーリチキンもジューシーさに欠けていた。
そこで、今もデリーのコンセプトである「現地の味を損なわず、日本の風土、日本人の舌にあったインド料理」を模索。
鶏皮を残したり、ソースを添えるレシピを作り、調理とオペレーションは、ホテルで修行していた前妻の息子慧臣氏が協力。
「郷に入れば郷に従え」ではないが、今も連綿とつづいています。
また、「インド料理そのままなら、インドの一番いいコックを連れてくればいい話だ」とも言っていました。
2つ目は経営戦略の面で一番や最初を考えていたということ。
インドカレーの先駆者は中村屋さんや室町のインドカリーもあり、インド料理では、ナイルさんやアジャンタさんがあった。
そこで「日本人経営による初めてのインド料理店」を前面に出していこうと考えた、といっていました。
確かに、彼は会社の礎である社会保険の完備、就業規則の策定、社員教育プログラムなども整備し、会社組織として、対外的にも認知させました。
今回の話は、どちらかというと、デリー社員にだけ話すべきことだったかなあ。