- 社長雑談
- 2021.07.15
カレーはどこへ
数年前、カレーのブームが来た時に勝手に「カレーのビッグバン」などと言いましたが、今尚”カレー”は膨張し続けているようです。
そしてどこへ向かっているのか、着地点はどこなのか?
こういう仕事ですから、いつもそこは探っていますが、確実な答えは出ません。
そこで、日本の外食、食卓に一歩先んじている中華料理から推測してみようと思っています。
実は、東北大のレポートを見て、参考になると考えて。
中華は、江戸時代から明治頃、日本に入ってきて、その後“ラーメン”の登場で、一気に大衆化。
飲食店的には、高級中国料理(中華街など)と大衆ラーメン。
そして戦後、高度成長期になると、今また人気になっている町中華様の店が増加。
ちなみに、中国から来た本格は「中国料理」、日本で生まれたり、アレンジされたものが「中華料理」だそうです。
今は、ネイティブ系と言われる、中国から来日した人たちが経営する店が増えている。
一方、カレーは明治初期、インド料理ではなく、洋食として認知されます。
日本の米に合うということ、肉食に慣れてない日本人にも、肉が食べ易くなるということで受け入れられました。
軍、クラーク博士の北大や高級ホテルのメニューにも、またSB、ハウスなどからカレー粉が発売され、家庭でも食べられる様になりました。
外食としては、阪急百貨店、新宿中村屋(こちらは純インドカレーですが)、共栄堂、そして帝国ホテル、富士屋ホテルなどの高級洋食的カレーまで、家庭とは違いのあるカレーが登場。
戦後は、ナイル、アジャンタなどのインド系インドカレーに、ムルギ、デリーなどの専門店も登場してきますが、昭和60年くらいまでは、洋食カレーがまだまだ主流でした。
そしてバブルに向かう辺り昭和63年位から、インドカレー、インド料理が一気に上昇してきました。
最初の激辛ブームもこの頃か。
バブルがはじけると、インド料理は高いというバブルのイメージが付いていて、若者はタイ料理などへ。
しかし、インド料理は、北インドの宮廷ムガールから、徐々に南インドのドサやサンバルなどを単品で出しながら、また息を吹き返してきました。
その後、大阪方面からスリランカカレーを経て、今のスパイスカレーに。
あの盛り付け方、ライスにカレーを掛けるのは、大阪型と言われています。
せっかちなたちなのか、片手で新聞、本を読みながら、スプーン一本で食べられる合理性が良かったのかな、とも思います。
続く