- 社長雑談
- 2020.08.21
食の都はBOMBAYだ! 2
初めてボンベイに行った時、実はパルシの方のお世話になったのです。
マラバルヒル付近でしたか、パルシの人たちの居留区の中。近くにはあの「沈黙の塔」が。
ですから、パルシ料理を多く食べ、教わりました。
ダンサク、サリボティ、サリチキン、アクリなどなど。
日曜日は、多くの家族が集まってダンサクを食べていました。
さてここからは得意の推測、推論ですが、パルシの人たちはすでに1000年以上インドのグジャラートそしてボンベイに暮らしていました。
ボンベイがポルトガルに占領され、王女がイギリス国王家に嫁いだ際、イギリスに持参金として渡されたそうですが、その時これら西洋文化をいち早く吸収したのがパルシ。
いわゆる西洋のパンを取り入れたのもパルシではないか。しかも、亡命させてくれたインド・ヒンドゥー教への恩義も忘れずに、卵を使わないベジタリアン仕様で。
彼らの朝食には普通にアクリとパンだったりします。
パルシには食のタブーはなく、上記の恩義から牛・豚は食べないようです。
お世話になったパルシの方は、広告代理店を経営されていて、いわゆるチキンソテーやシチューなども普通に食べていると言っていました。
元々ペルシャ人ですから、ドライフルーツやナッツを多く使い、また砂糖を使うのが特徴です。
今はペルシャ料理(イラン料理)がイスラム料理になっていますから、ちょっと違います。
インドでは、パンのことをパウとかパオとか言いますが、たぶんこれは、ポルトガル語のパン=PAO(本当はOの上に~が付いて発音はパン)からきていると思われます。
パオバジ、ワダパオなどが有名ですね。
デリー、コルカタ、チェンナイなどの他の都市とは違った食文化、フュージョン料理が外国人も多いボンベイでは、はぐくまれてきたように思います。
東京やニューヨークの様なイメージでしょうか。カフェやティーサロンのようなお洒落なお店も昔からあったようです。
インド料理=北インド、ムガール料理(イスラム)が今でも主流ですが、パルシやイギリス欧風も含めたボンベイの料理、いいですねえ。
画像は、パルシのタタ財閥が作ったタージマハルホテル。
この当時、インド人の入館は禁止でした。